1936年日活版『遠山の金さん』と東映版の違い|粋な素顔と派手な演出を比較
・「意外と知られていない? 日活版・遠山の金さんの粋な素顔」
多くの人が知る遠山の金さんといえば、東映映画やテレビでの派手な演出。肩を出し、桜吹雪の刺青を見せて「この背中に咲かせた遠山桜、散らせるもんなら散らしてみろい!」と決め台詞を言う東映版のイメージが強いでしょう。しかし、それよりずっと前に作られた、少し違った「遠山の金さん」がいたのをご存じですか?
1936年公開の日活版『江戸の春 遠山桜』(尾上菊太郎さん主演)は、お白州で素性を明かすときに刺青をほんの少し“チラリ”と見せるだけ。落ち着いた演出が特徴です。
他にも東宝や松竹でも遠山の金さんの映画は制作されていますが、演出は比較的普通です。遠山左衛門尉は旗本の出で育ちも良く、「チラリ」と見せる程度の金さんの方が私はしっくり来ます。ですので、東映版を初めて見たときの派手さには本当に驚きました。どうしてあんな演出になったのか、今でも時々考えてしまいます。
・1936年公開の日活版『江戸の春 遠山桜』(尾上菊太郎さん主演)について
日活版・遠山の金さんの特徴は、日活映画お得意の「長屋もの」を活かした作品であることだと思います。
「長屋もの」とは、当時の日活映画で多く作られていた、長屋を舞台に住人たちや訪れる人々の日常を描きながら事件が展開していくスタイルのことです。ほんわかした長屋の住人たちの生活ぶりやドタバタ騒ぎは、微笑ましく、可愛らしくさえ見えます。
遠山の金さん以外の人気作品にも長屋ものは多く取り入れられており、戦前の日活映画の大きな特徴であり人気のあったスタイルだったと思います。他の映画会社ではこの雰囲気はあまり見られず、まさに戦前の日活らしさと言えるでしょう。
日活の長屋ものについて私は好きですが、東映の派手な金さんを見慣れていたり、現代から見ると長屋ものは退屈とも見れるので、この当時はこういうスタイルだったんっだと歴史を見るような目で見ていただけると良いかと思います。
・尾上菊太郎さんについて
尾上菊太郎さんは戦前の映画に多く出演されたスター俳優のお一人です。
経歴も華やかで、初代花柳壽輔(日本舞踊家・振付師、日本舞踊花柳流の初世家元)の子として生まれ、六代目尾上菊五郎の門弟となり、二代目尾上菊太郎として歌舞伎役者になります。1932年に映画界に入り、時代劇スターとして活躍。その後、父の死を受けて日本舞踊に戻り、二代目花柳壽輔となりました。
このように生まれや芸の素養に恵まれた人物であり、旗本・遠山左衛門尉を演じるにはぴったり。舞踊や歌舞伎の経験から華やかさと品を兼ね備え、芸の幅も広い素晴らしい方でした。
そのため、映画で金さんが家出をして長屋に住んだり博打をしても、どこか品があり、まるで家を捨てた釈迦のようにさえ見えました。
参考:「尾上菊太郎」 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E8%8F%8A%E5%A4%AA%E9%83%8E
・金さんが正体を明かすシーン
映画では、金さんと一緒に暮らしていた仲間が悪人にそそのかされ、土蔵破りをして千両箱を盗んでしまいます。捕らえられた仲間を、お白州で悪人たちがしきりに罪に仕立て上げようとするのを見かねて、北町奉行・遠山左衛門尉として登場した金さんが正体を明かします。
チラリと刺青を見せると、周囲は「あ、金さん」と気づき、真実が明らかになりめでたしめでたし、という流れです。
・東映版がなぜ派手になったのか
憶測ですが、当時、東映は最も新しい映画会社でした。制作陣や俳優たちも若く、若さゆえの自由さや遊び心といった「ノリ」で作った演出が、思いがけず好評を博したのかもしれません。それがテレビシリーズにまで影響を与え、派手な「遠山の金さん」のイメージが定着したのでしょう。
最初に派手な演出を行ったのは、おそらく1950年代に東映所属だった片岡千恵蔵さんだと思われます。まだ「遠山の金さん」という名称が定着する前、「はやぶさ奉行」などのシリーズで、肩を出し、袴を蹴り飛ばして怒号とともに見栄を切るシーンは、今でも強烈な印象があります。
そして、そのイメージをより強くしたのがテレビ版の杉良太郎さん。鍛えられた肉体を惜しみなくさらし、生足を出すセクシーな金さん。お話も面白いのですが、毎回の露出度の高さには思わず目のやり場に困るほどでした。
・1936年公開の日活版『江戸の春 遠山桜』の視聴方法
Amazonの「日活プラス」オンデマンド加入で視聴可能。または単品購入もできると思います。
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