AIで絵を生成する事と人間が絵を描くことに対する正しい判断力はAIと絵を描く事双方の知識と技術を持つことが必要

AIで絵を生成する事と人間が絵を描くことに対する正しい判断力はAIと絵を描く事双方の知識と技術を持つことが必要

AIはまだ正しいが判断できないから
AIが出す結果の良し悪しは人間が判断しなければいけないと考える。
現在AIの多くは研究途中の段階にあり
どのような研究が行われているかを
わかりやすい製品にして公開しているだけであり
製品を通して行われるAIのパフォーマンスが
倫理的に正しいかどうかの判断は
まだしていないのが現状と思われる。
AIはあくまで研究段階だ。

AIのお絵描きアプリが生成時に使用する
多くの作品の著作権について問題になっているが
現状著作権問題についての審議もまだ深くはされていないと思います。
ですが、この件に関しての正式な判断は
必要ではないかと考えられるので、
いずれAIについての研究が進むにつれ
著作権問題についても議論され
法の整備が行われる機会が来ると予測します。

AIお絵描きの著作権問題についての審議は
誰が執り行うのか、どんな人がかかわるべきかを想像すると、
AIと絵を描くことにの双方の理解度、深い知識と技術を有し、
作品制作に対して熟練した能力のある者、
過去から現在までの芸術文化や歴史の精通者、
そして法律、商業法や倫理的なことにも精通している人間達が
集まり審議するのが妥当と思われる。

現状のAIを利用しての作品作りについては、
AIの知識、絵を描くことの双方の知識、専門的技術能力が必要と考える。
深い知識を持つことの理由は、
AIは判断ができないので、そこは人間が補う必要があります。
・現在AIが生成したものの中のどこがダメで、どこが使えるのかの判断。
・AIが生成するもののどこが良いのか、どこが魅力的か、どこを見るもの達がヨシとするかの決定など。
簡単にいっても、これらのことがAI生成を自分の作品に取り入れ
ネット上に公開する人間側に必要と思います。

AIについて
現在AIは、クリエイティブなことはできるが得意ではないと位置付けられています。
AIは一枚の絵、作品が語るストーリーや物語、思いやビジョンや信念その他もろもろ、
AIはこれらのことを自力で一つも誕生させることができないということも
理解していなければなりません。

「あなたは何のためにこの作品を作ったの?」

絵を生業にしている人たちならこの問いを
自分の作品を見た人に
問われたことがあると思います。

作品には描き手が意味を持たせる必要があります。
そこに込めた意味が、記号や信号となり、
その記号や信号の感覚、気持ちを見る人が汲み取り伝わる。
感覚は、言語や文化の違う人類同士がお互いを理解できる方法のひとつです。
だから他国の芸術や映画、作品と呼ばれるものに
その国のことや人について何にも知らなくても、作品には何かを感じたり
感動することができるのです。
この感覚はAIにはありません。

だから、AIがいくら綺麗な絵を描いても
理想の肉体を生成できても、
それを見た人間が何も感じない感想を持つのは当然です。

人間が描く作品は、どんなに上手な贋作でも
絵を描き始めた頃の未熟な作品でも
誰が描いたか判別できるくらい違いが作品に現れます。
それが人間の一人一人が持つ隠しきれない個性です。
人間側がどのような思いで作っているか、
恐ろしいほど作品に反映されてしまうので
迷いのある作品、迷いのない作品、全部伝わってしまいます。
見る側の感情を汲み取る能力は人間特有のもので、AIにはありません。
そしてAIは、個性もありません。

AIが提供できるのはネットから集めて組み合わせた資料群です。
退屈なコラボです。
ネット上のデータが大量になった今だからこそできることではありますが、
AIの生成物は人間が必要とする文化を感じるものでもなく、
新しさを見ることもなく、
ただ成熟した現代社会の退屈な日常の暇つぶしとも見えるのです。

退屈なコラボを見て、そこに意味があるかもと思ってしまうのは、
人間が夢見る期待の妄想で
絵を描ける能力があれば、AIの絵に意味がないことは見抜けるのです。
そもそも絵を描ける人はAIに頼らなくてもできるので
お遊びコラボ程度に試す可能性はありますが
心底頼ることはないでしょう。
自分の作品が描けるようになると、他の作品を真似ることもなくなります。
自己作品を手に入れれば
今後、どんなツールが出てきても自分がぶれない、迷わない指針になります。

現状、AIに創造性はありません。
AIを錬金術や魔法のアイテムのように感じているとすれば、
それはAIを理解していないと言えます。

現状AIが作るものを全面的にヨシとするのは、
扱う人間側のAIと描くことの知識と能力不足が、
AIお絵描きを信じてしまう要因の一つであるとも考えられます。
人間側が絵を描くことに対して満足できない、能力が足りない、
上手く描けたほうがいい、
自分の作品を褒めてもらいたい、
ある時目が覚めたら突然絵がうまくなっていればいい。
何にもしなくてもいきなり有名な絵描きになっている。
そういった人間が抱える負の感情や焦りが、
AIお絵描きの生成物を盲信してしまう理由の一つにあると考えます。

人間の習性として、
人間は、簡単に手に入ったものに対してそれを大事にはしない特性もあります。
この大事にされること、大事にすることはどういうことかも
理解していないといけないことです。
大事を理解していないと、作品も大事にはしないでしょう。
自分の作品以外にも、人の作品がどのように作られているか、
そこに込められた思い、そこに辿り着くまでのストーリーを理解し、
価値を見極めることができれば、
自分の作品も、人の作品も軽く扱うことことはできないでしょう。

AIの扱い方により、
作品を軽く扱う人と作品の重要性が理解できる人とが
明確に分けられ、判断されるとも言えます。
AIが無知である人間が誰であるかを暴露してしまうのですね。

結局は基礎力や知識をつける以外に
クリエイティブな力を身につけることはできないし、
作品に対する深い理解も、正しい判断もできないと思います。
地道に自分の能力を最大限に磨き上げ、
人間とは何であるか、作品を描く理由は何なのか、
どうして文化が人間に必要なのか、
こういった、自分が抱く感情を一つ一つ自己解明することも重要です。
その思いが作品に反映され、オリジナル作品にもなる。
オリジナルはAIにはできない。

AIは現状、人間が使うと便利なものです。
AIの生成物と人間が作品を産むことの違いを理解し、
生成と産むことは別々のものと位置付けし、
混同して考えないことが、今できることではないかと思います。
「生成」と「描く」の違いも気に留めておきたいところですね。

AIと人が共有にする未来を育てるとともに
人間は今一度、人間というものを深く学ぶ時でもあるのではないかと
AIを通して感じることです。

AIを扱う時、または作品を作るときは
「あなたは何のためにこの作品を作ったの?」
を問い、答えを持って挑むことが
道を間違わないんじゃないかとも思います。


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松元美智子 1996年少女漫画雑誌「ちゃお」デビュー/漫画家/イラストレーター/3DCGゲームアニメーター/書籍執筆/投資家/Python/UE5/最新刊「少女マンガの作り方」/Web「松元美智子クリエイティブブログ♡公式」で過去の漫画や制作に役立つ情報毎日投稿中/法政大学経済学部経済学科通信教育部生/メンタル心理カウンセラー

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